今年で47年目を迎えた2024年8月の日本テレビ系「24時間テレビ47」。お笑いピン芸人のやす子は、このチャリティマラソンコーナーで見事完走しました。
「マラソン児童養護施設募金」は4億円を超え、昨年の24時間テレビでは募金総額約8億円で、今年はその半分を1人で集めたことになります。すごい人気ですね。
自衛隊ネタを披露して売れっ子になり、大活躍を見せるやす子さん、今では、バラエティに、CMに引っ張りだこです。
そんなやす子さんが自衛隊ネタでブレイクしているなか、彼女がなぜ自衛隊に入ったのか、そして自衛隊をやめたのかについて興味を持ちました。
そして、彼女が支持される理由は何なのか?その魅力はなんなのか?について考えてみたいと思います。
やす子さんを語るには、その生い立ちが今の彼女を作ったと言えますので、生い立ちから見ていきたいと思います。
やす子さんの生い立ち
子供時代
やす子さんは、山口県宇部市の出身です。2歳の時に両親が離婚。実母に引き取られ、母子家庭で育ちました。
生活は苦しく、中学時代は部費や家賃が払えず、妹と共に給食しか食べられない日も、夏休みになると安売りのパンの耳を大量に買い込んで飢えを凌いだ経験もありました。
また、食器を洗うため、学校の水道水をペットボトルに汲んで持ち帰ったり、洗濯機がないため手で体操服を洗ったりするなど、本当に経済的にはかなり苦しい生活をしていたようです。
高校時代
高校生の時には児童養護施設で生活していたこともありましたが、3食食べられる世界に幸せを感じたと語っています。高校3年間の間にはいじめにもあったようで、トイレでお弁当を食べたり、休み時間はひとり図書館で過ごすこともあったようです。
想像するに高校卒業までは、辛い時期を過ごしてきたように見えます
そんな辛い子供時代を過ごしたやす子さんは、高校卒業後、就職をするのですが、就職先の条件は、「衣食住がそろっている」ということでした。
彼女の生い立ちを考えると、 “やす子さん自身が生きていける”ことを就職先の条件として考えたことに何かやりきれない思いもしてきます。
そういった幼少期の経験に負けず、持ち前の明るさと楽天的な性格で乗り切ってきたように思います。本人は、「明るいキャラクターって思われていますが、割と根暗で人見知りでいろんな地獄を見てきた」とも語っています。
でも、本当に根暗であれば、あの笑顔はできないんじゃないでしょうか。やす子さんの笑顔は、見ていて何かホッとさせるものがあるように感じます。皆さんはいかがですか?
日本の貧困問題について(興味のない方は飛ばしてください)
ちょっとやす子さんから話がそれてしまいますが、少し日本の貧困の状況について触れてみたいと思います。
貧困の種類
私たちは先進国、豊かな日本に暮らしていると考えている方も多いと思いますが、日本では今、子供の貧困が大きな問題となってきています。貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」がありますが、今日本で問題になっているのは「相対的貧困」です。
これは、貧困線(所得が集団の中央値の半分)に届かない人たちです。
貧困率
厚生労働省の国民生活基礎調査によりますと、貧困線は2021年に127万円、相対的貧困率は15.40%で、30年前より1.9ポイント高くなっています。
また、日本で子どもの相対的貧困率はピークの2012年に16.3%と、おおよそ6人に1人の割合でした。21年は15.4%まで下がりましたが、ひとり親世帯だけでみると44.5%であり、大人が二人以上いる場合の8.6%を大きく上回っています。特に、ひとり親世帯で経済的に苦しい傾向にあります。
貧困への支援
最近は、行政だけでなく非営利団体の協力を得ながら、貧困に苦しむ子供たちを支援する取り組みも行われているようです。「こども食堂」って耳にしたことはありませんか?
そのほか、教育支援や保護者支援も各種行われているようです。
貧困が及ぼす社会的問題
貧困になると収入が低いため就学ができず、将来的には就職や生涯年収の格差につながることが多いため、貧困の連鎖が起ってしまいます。その社会的損失は、なんと43兆円にもなるといわれています。
政府の2024年度一般会計の予算案総額が112兆717億円ですから、国家予算の3割以上もの社会的損失となっています。
つまり、子どもの貧困は、各家庭の問題というだけでなく、現在だけでなく将来的に国家的にも大きな課題であることが分かります。
ちょっと立ち止まって自分にも何かできることはないか、を考えていきたいと思います。
自衛隊に入ったわけ
就職
話をやす子さんの生い立ちに戻します。
山口県内で「衣食住がそろっている」条件を備える就職先は、パチンコ屋さんか自衛隊の2つしかなかったようです。やす子さんは、パチンコ屋さんに落ちちゃって、第二志望の自衛隊に入ったと語っています。
パチンコ店は、面接室へ入る際に体が扉に挟まってしまうアクシデントがあり、それが恥ずかしくて、そのまま退出し不採用になったと語っています。
そんなおちゃめな女性らしい一面も見せてくれます。
自衛隊に入ったきっかけは、部活の先生に「自衛隊に入ったら?」と勧められたからだったそうです。
就職は、いっぱい考えて目標をもって会社を選ぶ場合も多いですが、案外、ちょっとしたきっかけで決まってしまうということもあるかもしれません。
自衛隊での生活
自衛隊では楽しい日々を送っていたようで、18~20歳まで在籍しています。本人は、自衛隊への就職が決まった時の心境を、「受かった時は“ようやく好きなものが食べられるかな”と安心した」と振り返っています。
「自衛隊に入るのが決まってちょっと明るくなったというか、未来が明るくなった」とも語っています。
幼少期は、相当厳しい生活だったことがうかがえる言葉です。
そして、「自衛隊ではちゃんと活躍できる人になろう」と決心したとも語っています。これまで苦労してきた分、なにかこれからの人生に明るい未来を感じたのかなと想像します。
自衛隊生活での気づき
自衛隊では、入隊後、一番真面目で、人生で一番ストイックな生活を送っていたようです。「(自衛隊では)きつい訓練をするときほど本性が出ると言われていて、疲れてきたらネガディブになってきた」と、自らを分析しています。
そりゃ、誰でも疲れたらイライラもするし、ネガティブにもなります。
ただ、やす子さんは、そこで「ネガティブになっても何も解決しない」ということに気付き、その気づきが今につながっているとのことでした。
良くない過去が書き換わる
そんなやす子さんの経験を見ていると、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている。」というアビダルマ仏教哲学の教えを思い出します。
何を言っているのか?時間は過去から未来に流れるものでしょ、と思う方も多いと思いますが、アビダルマ仏教の考え方は逆で、未来が過去を変えていくという教えです。
つまり、「良い未来」から逆算してみれば、どんな現在も過去も、「よい未来」を作るために必要な出来事であるということなのです。
なので、今、やす子さんに起こっていることは、過去の辛い経験があってこそ。当時は辛い思いをしましたが、今のやす子さんから見たら、そのつらい思いがなかったら今の活躍はないわけです。
当時は辛い嫌な思いを持っていたとしても、楽しい経験だったとは言わないまでも、有益な経験として今の彼女のなかに確かに存在しているのではないかと、私は思うのです。
自衛隊を辞めたわけ
自衛隊を辞めた切っ掛け
以外にも、自衛隊を辞めると決めたことに特に大きな理由はなかったようです。
やす子さんは、ある日、歩いているときに、ふと「辞めよう」と思い立ったそうです。辞めたかった理由は、「勘だったんですよ。“やーめよ”くらいの」と、意外に軽い気持ちだったようで、何か大きな理由があったというわけではなさそうです。
上官からの言葉
退職を告げた際、上官からは反対されたといいます。「(仕事ができない君を)駐屯地から出すわけにはいかない。君は社会でやっていけないから出せない」、そして「ご飯、自由におかわりしていいから」と引き留められたそうです。
何か暖かいものを感じる言葉ですね。やす子さん自身も、「愛されているなと実感する時期でした」とも振り返っています。
ちなみに、旧日本軍では、兵・下士官の退職を「除隊」、将校は「退役」と呼んでいました。今日の自衛隊でも「除隊」は一般的に使われていますが、自衛隊法による正式(法的)な用語は「退職」だそうです。
自衛隊退職、その後
お笑いの世界へ
2019年9月、千葉に住んでいた友人に「漫才をしてくれない?」と頼まれました。
そして、その誘いを断れず手伝うことになったのですが、なんと、現事務所・SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)のライブ当日、その友人が現れず、急遽ピンネタに変えて1人で舞台に立ったそうです。
それだけでもスゴイ!のに、その日の観客投票で2位になりました。
芸人仲間もできたことから、なんとなくそのままずるずると芸人を続けていましたが、たまたま手伝いで参加したハリウッドザコシショウの単独ライブを観て、「芸人ってカッコいいんだ」と意識が変わったそうです。
意識変化からの快進撃
そこからやす子さんの快進撃がはじまりました。
若手登竜門の「ぐるナイ おもしろ荘」で3位となったことで注目され、色々な番組に出演するようになりました。やす子さんは、自衛隊時代もそうですが、人一倍ストイックに物事に立ち向かっていく、そして求められたことに全力で答えようとします。
多分、ご自身はそうしなければならないと考えているというより、そうすることがごく自然にできてしまうのだと思います。
そのため、どんどんやす子さんの能力が開花していったようにも見えます。なんといっても純粋で真面目ですので。人気者になるのも頷けますね。笑顔が本当に素敵です。
即応予備自衛官
実は、やす子さんは、自衛隊の退職後も「即応予備自衛官」として茨城の駐屯地で部隊に所属しています。
即応予備自衛官は、普段はそれぞれの職業に従事しながら、非常勤の特別職国家公務員です。即応予備自衛官として必要とされる知識・技能を最底限確保するため、年間30日間の訓練に応じることも求められます。
そして、有事の際や、大規模災害が発生した場合、現職自衛官と共に派遣され、迷彩服を着て部隊の一員として活動します。
なぜ、自衛隊をやめたのに即応予備自衛官に就いたのか、と聞かれたとき、やす子さんは「自衛隊にいた時の恩を返したいという気持ちがあったので。そして、誰かのためになるならいいかなと思って、続けさせてもらっています」と語っています。
本当に、自衛隊で良い時間を過ごしたことがうかがえる言葉ですね。そして、これまで支えてもらった方々などへの感謝の気持ちの表れであるように感じます。
自衛隊志願者数
実は、自衛隊の志望者数は年々減少傾向にあり、2023年の自衛隊の採用人数充足率が過去最低の51%(9,959/19,589人)だったと7月8日に防衛省から発表がありました。
理由は、少子高齢化に加え、高卒新卒者の有効求人倍率が向上し、他の業種との人材の争奪戦が激しくなったと分析されています。
近年急速に力をつけてきた隣国も大きな脅威になりつつある中、自衛隊に入りたい方々の減少は、それだけで日本が脅かされる危機であると感じてしまいます。
やす子さんの活躍で、少しでも自衛隊に興味を持つ若者が増えてくれることを期待したいと思います。やす子さん、日本国のためにも頑張ってください。
やす子さんの人生を振り返って
やす子さんのこれまでを振り返って、ジェームズ・アレンの「原因」と「結果」の法則を思い出しました。ご存じの方も多い有名な哲学書です。
この本には超ざっくりですが、一貫して「思いが結果を作っていく」ということが書かれています。つまり、すべては「思い」から始まると。
困難な環境下でも素直さや謙虚さ、一所懸命に努力をする姿勢が、今のやす子さんを作ったのではないかと思いました。
やす子さんの銃の腕前は、こちらの記事をみてねー
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